先日、旧友と話をしていた中に、「えカニぃはどうして色々なことに興味を持って、チャレンジして、それなりに習得したりしちゃうの?秘訣を教えてよ」と言われました。その人が言うには、ヒマではない仕事をしながら英会話を習得して、海外交流会を主催したり、大人になってからピアノ習ったり、毎日の散歩を続けたり、時に料理を作ったり、というのがどうしてスイスイ出来るのか教えて欲しいとのことでした。
チャレンジ成功の秘訣とは
私自身、スイスイ出来ている自覚はなく、すぐに答えられなかったので、しばらく考えてみました。
自分自身のことに関してはなかなか話づらい部分もあったりするのですが、なるべく客観的に考えてみて、以下の4点がポイントかなーと思いました。納得するところがあれば、参考にする程度で読んでいただけたらと思います。
で、ここまで考えてみて、これって、今書いているこのブログ、「えカニぃの人生好転ブログ」のテーマじゃんと気づきました。 ですから、これから詳しく書いてゆきたいと思いますので、続けて読んでいただけたら嬉しいです。
高校の時に気付いた無意識の活用
まず、無意識をうまく活用するということですが、最初にそのことに私が気がついたのは高校2年生の時です。
私は、結構とんでもない田舎町で育ちました。山間部でそこの集落には7軒しかなく、日照時間も少ない集落で、小学校のある街まで2キロくらい周りに民家のない砂利道を歩いて通うような所でした。そんな田舎町から街の高校に入りましたので、クラスメートのみんなが都会人で、話していることや話している言葉さえも洗練されていて、みんな賢く見えました。
そんな高校に通う理系の学生でしたが、2年生になった頃、数学の教科がどんどん難しくなって、「理系あるある」にありそうな、「数列」が出てきます。「数列」で振り落とされて数学嫌いになる人が続出する項目です。私もすごく難しく感じて理解が進まず、振り落とされそうになってました。
そこで、当時、田舎の(電車ではなく)ディーゼルエンジンの列車に乗って通っていたのですが、家から歩いて駅まで出かけて、列車に乗って、また学校の最寄り駅で降りて、学校までの歩いて登校するまでの間、ずーっと数学の教科書をカバンから出して片手に持って通学しました。通学途中に列車の中でも教科書を特に開くこともなかったのですが、「数列」のことが気になり、なんとか分からないかということで、開こう開こうと思いながらもただただ手に持って運んでいただけでした。
自分で驚く無意識の効果
でも、それだけなのに、いつの間にか「数列」が分かるようになり、得意になり、落ちこぼれることなく、中間試験も乗り切った記憶があります。
実は、「数列」というのは、それまで中学や高校1年生で習う数学と比べて、新しい言葉が多く出て来るんですね。等差数列だとか、等比数列だとか、収束だとか。数学という理系の学問の中心みたいな教科ですが、実は、新しい言葉に惑わされて理解の第一歩に至らないことがあるんですね。まず言葉を覚えるというか、言葉に親しむことで、どういう意味なのかが少しずつ分かって来るということもあります。
その当時、教科書をずーっと片手に持って通学している最中に、中身を開いて見ることはなくても、勉強しないといけないなぁと無意識に思い出していた訳です。 そして、無意識のうちに勝手に頭が働いて、使われている言葉を思い出したりして、自然と親しんでいたようです。
無意識については、続けて書いてゆきますので、また、いらしてください。 いいねやコメントいただくと励みになります。
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