きれいごと、偽りの親切は、裏では何を思ってるか分からない 

ポジティブ

えカニぃは、日本の文化を世界に伝えたいと、数人の仲間と、インターネットで呼びかけて、小さな国際交流の場を企画しています。

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国際交流の集まりであったこと

英語で案内しているので、参加される人は、海外から日本に来てしばらく住んでいる人がほとんどなのですが、時々、英語に関心のある日本人も参加されることがあります。

その中で、以前、20代の若い男性が参加されたことがありました。

人付き合いもあまりうまくいっていないようで、攻撃的な感じではないのですが、どことなく斜に構えて、私の話をつまらなさそうに聞いていました。

そして、このお釈迦様の6つの教えの「布施:親切」の話から、まずは、笑顔や優しい言葉をかけるといったことから実践しましょうと話したところ、

「そんなん、きれいごとじゃないのか!?」と、言ってきました。

親切って、きれいごとではないのか?

彼にしてみたら、人間関係もあまりうまくいっていないし、仕事もそんなにうまくいっている訳じゃない。

笑顔や優しい言葉なんかで、人生変わるとも思えないし、こちらからするなんて恥ずかしい。

やってる人は、なんかきれいごとでやってて、裏で何思っているか分からないし、、、、、。

といった感じでしょうか。

実際に、彼のように感じる人は少なくないです。

偽りの善行

人の為、、人の為といいながら、自分のことしか考えていない。だから、「偽善」というんだ。いつわりの善。ニセモノの善。

だから、やっていることもきれいごとで、本当に心からの善ではない。

実は、この「偽善」、お釈迦さまが教えておられるんですね。

「人のやる善」はすべて「偽善」だと。

結局、私達は、どこまでいっても、このようなきれいごとの善しかできないんですね。

ブッダの知恵ですね。

それを、「オレは善いことをしているんだ」と自惚れたり、さらには、人を見下したり、

「こんなにしているのに、どうして周りの人は気づかないんだ」とか、実は、こんな心ばっかり、こんな心しかないわけです。

「きれいごと」と言われても仕方のないことです。

ですが、これは、人間である限り、すべての人がそうなのです。例外は無いです。

人に親切にして、見返りやお礼を期待する心が全くない人などいません。

人間の最高の善

ですが、最も注意しないといけないのは、お釈迦さまは、「偽善」とは言われても、決して「善ではない」とは言われていません。

むしろ、人間が出来る最も尊い善が、この「布施:親切」なんですね。

ですから、その結果は、実行したら実行しただけ、実行した人自身に幸せという形で返ってきます。

笑顔のプレゼント

さて、彼の

「そんなん、きれいごとじゃないのか!?」の問に、私は、

「そうだよ」「きれいごとだよ」「いつわりだよ」と、答えました。

そうすると、彼は、最初、驚いて、それまで斜に構えていた態度から、急に身を乗り出してきました。

こいつ、何言ってるんだ、と、思ったのでしょうかね。

私は、

「そんなん、分かってるけど、するんだよ」「笑顔するんだよ」

「そうすれば、周りも、自分も明るくなるんだよ」と続けると、

彼の表情がガラリと明るくなってきました。

「へー、きれいごとでもすればいいんですねーー?」と。

「こんなこと、始めて聞きました」と。

早速、笑顔の実践となりました。

本当に、ブッダの知恵には力がありますね。

続けて書いてゆきますので、またいらしてください。

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