50歳になった時、ふと、英語をしゃべりたいと思い立ちました。それまでは国内を相手にした仕事ばかりで、英語の必要性を感じませんでした。
英語に関心を持つまでにあったこと
でも、実は、47歳の時、職場で遅くまで残業していた時、急に身体が硬直して自分で動かせなくなり、救急車を呼ぶはめになったことがあります。
その後、しばらく業務時間制限をした時があって、その頃、それまでの突進型の生き方を反省して、図書館に通いながら少しゆったりした日々を送りました。
その時に「英語は絶対勉強するな」という本を読んで、これまで自分が取り組んできた英語の勉強法が間違いだらけだなぁと感じました。
その後、しばらくは、英語を耳で聞いたり、海外のニュースに関心を持ったりしましたが、英会話に取り組もうなんて気持ちは当面忘れていました。
肩たたき(リストラ)が忍び寄る恐怖
リーマンショックのような大きな経済ショックも大きな会社に影響が及ぶのは数年かかります。その頃から、多くの国内商品が売れなくなり、CD/DVDプレーヤー、ナビゲーションシステムなど日本発の商品もすぐに外国勢に追い抜かれ、日本での事業がどんどん縮小してゆく時代に突入しました。
一方で、アメリカはそれでも、力強く、アマゾン、フェイスブック事業拡大が止まらない状況でした。アメリカの底力はなんだろうということから、次第に、アメリカ人と直接話をして、アメリカの文化を直接肌に感じたい思いが芽生えてきました。 スタンフォードのビジネスアイディアを育成する教育とかがテレビで紹介されていたりで、とても興味がありました。
また、その時は、これまでの仕事の延長では、いつ肩たたきに合うかわからない状況で、実際に多くの同僚が会社を辞めて他社に移ってゆきました。そんなこともあり、やっぱり、ちゃんと英語がしゃべれるようになりたいと強く思うようになりました。 でもその時は、本当に雲をつかむような話で、とにかく今まで、自分が生きてきた、狭い世界から、もっと広い世界に出たいという思いだけで、何からしたらいいかから分からない状態でした。
無謀な決意?
その当時は、もしTOEICを受けてたらの点数は450点くらいだったのではないかと思います。なんせ、その時の仕事は、まったく海外と接点の無いもので、歳も50を回っていましたので。その後、海外にたくさん知り合いができて、会話ができたり、TOEICも850点レベルになれるとは全く想像できない頃でした。
今後の展開
なぜ目標設定が、布施(親切)なのかはまた、今後書いてゆきたいと思いますので、続きも是非ご覧ください。
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